歩々清風

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江戸川区浄土宗清光寺にある鐘

もうすぐ除夜の鐘。

毎年思い出される濟松寺の鐘にまつわる出来事があります。

現在の濟松寺の鐘楼は、昭和49年に十八世文奛和尚によって再建されました。その際、鐘も新しく鋳造されましたが、その鐘銘に次の一文が刻まれています。


 「供出せる鐘は江戸川区浄土宗清光寺に在る。返還交渉せしも還らず。」


 「供出せる鐘」とは、第二次世界大戦の時に、兵器を作る物資(金属類)が不足した為に行われていた国の政策により、濟松寺が供出した鐘を指します。この鐘は、幸い鋳潰されずに江東区砂町の某所に集積されていましたが、それを戦後の混乱時に清光寺が持ち帰り、自坊の鐘としたため、現在は江戸川区東葛西の清光寺にあります。

この濟松寺の「供出せる鐘」の行方と経緯は、昭和40年代後半頃、鐘を調査されていた方が、濟松寺に知らせてくれた事により明らかとなりました。

また、この鐘は、元は濟松寺仏殿に掛かっていた「殿鐘」です。「殿鐘」であるため、鐘楼の鐘としては重量も軽いものとなっています。濟松寺では、明治維新の廃仏毀釈で、鐘楼の鐘が行方不明となった折、この「殿鐘」を、鐘楼の鐘の代替として大切に使用してきました。その後、上記のように国の政策で供出することになりました。

濟松寺にとって、この「殿鐘」は、歴代の大鼎和尚に寄進されたとても大事な寺宝です。

そのため、十八世文奛和尚は、濟松寺の鐘楼再建にあたり、清光寺に「殿鐘」を返還していただきたく、お願いをいたしました。新しい鐘を鋳造して交換するという条件も提案いたしました。しかし、先方がそれ以上を求めてきた事で条件が折り合わず、返還されずに現在に至るまで清光寺の鐘楼に掛っています。


 濟松寺の古文書に「殿鐘銘」として次の一文があります。

 
 井上良矩 江州人其先出宇多源氏 始来東都居當山出仕閤老相良候 

 忠勤有年禄増職進為大夫 今玆當山三佛堂成鋳銅鐘寄之不忘其本也 

 蓋福其先遺其後住山大鼎為之銘々日

 鐘之覚迷 載籍可知 賢欽其起 捨財鋳之 福大功永 微我銘辞

 明和七(1770)庚寅春三月


 先般再び、この「殿鐘」について問い合わせがありましたので、その経緯をここに記すことにいたしました。

 いつの日か、本来の場所である濟松寺に返ってくることを願っております。







by saisyouji | 2018-12-31 19:50 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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東京 臨済宗妙心寺派 濟松寺のブログです。お寺の日常や坐禅会の紹介をしています       住職:岩田文隆


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