「やす悟り、はき散らせとや 竹ぼうき」白隠書
道宗和尚は当山の世代住職ではないが、17世錬道文精と18世古鑑文奛をつなぐ大切な恩人です。京都花園妙心寺塔頭養徳院世代住職諱恵坦 姓伊藤 会津柳津 円蔵寺 柏宗和尚(後に養徳院へ転住)徒 妙心僧堂 徳宗老師の師兄。
大正15年11月7日 17世錬道和尚遷化 18世古鑑は学生で住職の資格はなかった。時の本山宗務総長 高林玄寶師(美濃 清泰寺)が特命入寺をしようとしたが、17世の僧堂先輩和尚方 那須の雲巌寺 植木義雄老師を始めとして 円蔵寺徒 東京谷中 南泉寺朝宗和尚や他の和尚方の尽力によって、道宗和尚に濟松寺への転住をお願いした。道宗和尚は養徳院を師弟の徳宗老師に委ねられ、濟松寺に入寺された。昭和2年春 古鑑は学業を終え、妙心僧堂に掛搭し、湘山老師 徳宗老師 晦宗老師の三老師に師事した。
在錫中のある日、東京高輪東禅寺絶学老師が、後任住職選任の為、僧堂に来られた。古鑑が呼び出されて、二人の候補(近藤文光老師と某老師)の誰がよいかと尋ねられ、近藤文光老師がよいと思いますと申し上げた。のちに近藤文光老師が東禅寺に入寺された。昭和9年12月23日道宗和尚は古鑑の暫暇を待ってたかのように遷化された。昭和10年古鑑は道宗和尚や多くの和尚方のおかげで晋山し、18世となることが出来た。東禅寺に入寺された近藤文光老師が道宗和尚の為に一偈をおくられている。
「道宗和尚遷化」
多年養徳道宗明 一旦濟松晩節清
訥訥音容今曷處 空餘洛水花園情 (暮雲抄より)
この白隠の書、道宗和尚は、終生座右の銘のように、大切にされていた。